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縄文時代に技術の礎

限界集落 飛騨匠の挑戦 ~“巣づくり”の鼓動 -2 ~

巣づくり”の鼓動 -2|縄文時代に技術の礎昨年、あまちゃんという番組がひとつの社会現象を起こした。私なりに解釈すると、人は居場所を求めて働く。それが都会であろうと田舎であろうと関係なく、自分にとっての居場所を若者たちが求め始めているのだと感じた。昔は良かったとか成熟した社会では夢が持てないとかいうネガティブ思考の人を尻目に、現実をしっかり受け止め、前に進もうとしている若者たちの動きだ。そんな若者たちの中に飛騨の大工集団がいる。
 
飛騨の匠(たくみ)のルーツについて知りたくなり、昨年末、白銀一色の飛騨を訪ねた。友人を頼っての建築関係者や郷土史家からの聞き取りで、その歴史は、縄文時代までさかのぼることとなった。縄文時代は、まだ石器を使用し狩りを行い作物を作っていた時代。飛騨地方には、すこぶる硬い石器が多く出土しているが、その石器で豊富な木を切り倒し、木を削り木を加工する高い技術があった。自然環境の恩恵からもたらされた技術が、その後の飛騨の匠の礎になった、という。
 
時代は変わり、天皇を中心とした朝廷が開かれた時代。今から約1400年前の都では、権力争いによる遷都が繰り返され、大きな建造物が次々と建てられるようになった。
 
その建築技術の指導者は朝鮮半島からの渡来人が中心だったが、その指示に従うことのできる腕前の持ち主は都周辺にはおらず、木を巧みに操ることができる飛騨の民たちに白羽の矢が立てられた。
 
飛騨は奥深い山国で、税として収める穀物がとれないため、人夫として1里10人単位で強制的に都での事業に従事させられた歴史がある。当時飛騨の国は10の里があり、毎年100人ぐらいが都へ出向き、それが鎌倉時代まで約400年続いた。つまり延べ4万人以上もの人が建築作業に動員されたことになる。その労働は、古文書によると大変過酷なもので、逃げ出す者も多くいた。当時朝廷以外に荘園制度で力を持ち始めた豪族たちは逃げ出した飛騨の民たちをかばい、手厚く保護し、屋敷の建設に充てたという。皮肉にも飛騨の匠は強制的に建築作業に従事させられた結果、知らず知らずの間に、高い技術を身につけ始めたのかもしれない。

(木曽三川プロジェクト・巣づくりの会世話人 吉田和弘)

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